おいたがすぎるんじゃないか

モブおじさんのブログだよ

Sexy Zone大阪初日グッズ列が長すぎて暇なのでヲタ卒した私が佐藤勝利モンペになるまでを振り返る(1)

タイトルの通りです。はてなブログ開設しました。


簡単に自己紹介します。
名前はグッバイと言います。モブおじさんOL(常にモブおじさんとしての視点からアイドルを見守るOL)を営んでいます。そこまで深い意味はないのでふつうに気持ち悪いな〜と思う程度で大丈夫です。

ジャニーズを好きになったのは小学生のときで、めざましテレビで見た山ピー大将軍のウインクに撃ち抜かれたことがきっかけでした。思えばNEWSデビューだったのかもしれない。細かいことは覚えてないけどいまだに真っ白な衣装でウインクする大将軍の美しさは胸に残ってます。初めて人間という生きものを美しいと思った瞬間だった。
ただ、そのときはいわゆる「担当」と言えるほどの熱量は持ち合わせておらず、ただ山ピー大将軍のウインクを求めて右往左往している日々の中でザ少年倶楽部に出会いました。
2004年、ザ少年倶楽部で歌って踊るKAT-TUNに出会いました。

KAT-TUNに青春を捧げた人間として今言えることについてはこのブログでは触れないでおきます。まだ正直泣いてしまう。
KAT-TUNに、亀梨和也に、赤西仁に出会ってそれまでの世界は一転し、「ジャニヲタ」という肩書きを当然に受け入れました。仁亀に人生を狂わされた人間はわたしの世代には少なくないと思いますが、みんな今も胸のどこかに彼らの姿が歌声が焼きついていて、今もKAT-TUNの背中を追い続ける人もいればジャニヲタをやめた人もいるんでしょうが、誰もがおそらく口を揃えて「仁亀を好きになってよかった」と言えると思います(笑顔、泣き顔の違いはあるにせよ)。忘れられないですよね。今でも彼らを超えるシンメをわたしは見つけられずにいます。

それはさておき。

中学生になる頃にはKAT-TUNがデビューしました。これから世界をモノにしていくグループだと信じて疑いませんでした。知り合いのお姉さん(当時20代後半)が嵐の二宮くんの大ファンだったことで、嵐のコンサートに誘われて少しずつ足を運ぶようにもなりました。
(初めて行った嵐のコンサートはoneだったので、正直言ってガラガラの大阪城ホールには笑ってしまいました。当時最も勢いがあったKAT-TUNのコンサートと比べてしまったんですね。今にして思えば、メンバーみんなが気取らず等身大に笑ってふざけて、缶蹴りと称して客席にメンバーが入ってきたり、あのはちゃめちゃにあったかいコンサートは、嵐が今の地位を築き上げたことを裏付ける記憶だなと感じます。)
嵐のコンサートはよかった。それでも、わたしにはKAT-TUNが一番でした。

あれよあれよと言う間に高校生になり、赤西仁がジャニーズからいなくなりました。K2板の住人ライフ(懐かしいですね、アタス子ちゃん)を謳歌していたその頃のわたしは、正直あの状態のまま彼がKAT-TUNでい続けることはないだろうと思っていたのでそこまでの衝撃は受けず、ただついに訪れてしまったその日を静かに悲しみました。ショックではなかったけれど、痛みは相当のものでした。
弱かったわたしは5人のKAT-TUNを見ていることが辛くなり、徐々に嵐の応援に力を入れるようになりました。当時の嵐と言ったらどんどん勢いをつけてきた頃で、嵐の活躍を追っていたら忙しすぎて、痛みを忘れられました。しかし10周年のツアーを見届けて少しすると、自然に、自然に気持ちは離れて行きました。好きじゃなくなったとかそういうんじゃなくてただ、もう嵐は行ってしまうんだなと。嵐というグループを、近しい友人のように思っていたのだと思います。もうわたしがいなくても平気だね、これからも頑張ってね。逃げてきたわたしを救ってくれたのは嵐だったというのに、自分の立場も忘れて上から目線で彼らに別れを告げ、大学生になりました。

大学生活の楽しさで、わたしは一度ジャニーズを離れました。彼らに費やしていた時間の全てをバイトと勉強と遊びと恋に使い、それはそれはもう、充実した日々を送っていました。テレビでKAT-TUNや嵐を見て「好きだったなあ」と思いながら、テレビを切って遊びに出かける。完全なるヲタ卒です。ええ。
これからやっと自分のための人生が幕を開けるんだ。誰かを応援する人生じゃなく自分自身のために時間をお金を使うんだ。それはとても満ち足りたことで、わたしはジャニヲタをやめたことを、心から喜ばしく思っていました。
そしてそれは正しいと今も思います。アルバムの初回限定版と通常盤を買うお金でハイブランドの化粧品が買えるし、うちわを作る時間でおしゃれな料理が出来るし、こうしてSexy Zoneのグッズ列に2時間も並んでる時間には、いくらでも、なんでも出来る。なんでわたしはこんなところにいるんだろう。梅田のカフェで友達とイチゴのタルトを食べながら夏コスメの注目株についてああでもないこうでもない言い合いたい。
しかしわたしは大阪城ホール前の川のそばでこうしてひとりスマホと睨めっこして自分の半生を振り返っています。

あれは2014年9月のMステでした。男 never give upです。9月生まれでもないのに愛のメッセージにぶち抜かれました。いやキュンとしたわけではなくて、ただひたすら笑った。
「俳句……?バ、バイ、しょうり……?」「ヒトメボレです☆って君…どうせあとで照れるんやろ………ッま、満足げだと……?!!?!」
Sexy Zoneのあのトンチキ演出はファンから見るとやめて欲しかったりしたのかな。でもあれがSexy Zoneに興味を持つきっかけになった身としては、戦略として十分すぎるほど価値があると思います。
いわゆるSexy鬱状態だった彼らの事情なんて何も知らないまま、何年ぶりか分からないザ少年倶楽部を見始めました。それこそSexy Zoneは3人なのだと思っていたくらいで、マリウスと聡ちゃんのことは妹に言われて知りました。(妹はSexy Zoneデビュー当時のマリウスの大ファンでした)全然知らなくて、今思えば3人は辛い顔をしていたのかしれないけれど、当時のわたしにそれはちっとも伝わってこなくて、それは別にわたしがちゃんと見ていなかったからとかじゃなくて、ただ純粋に彼らがプロだったからだと思います。弱みは見せない、輝きは絶やさない、だってアイドルだから。そういう潔さがあったのだと、今振り返ると、そう強く感じます。

さて長々書きましたが、ここまで佐藤勝利のことに触れたのはby勝利を初めて目の当たりにしたときの衝撃のことだけです。なんという前置きの長さ。読まれるために書かない文章はここまでだらだらと長くなるんだなと改めて感じました。
ここまでを前半として、後半でいよいよ佐藤勝利モンペへの道を語ろうと思います。